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ブラジル公演2008

ブラジル移民100年記念式典に参加して・・・

代表 渡辺 洋一

この五年間の集大成として千人太鼓の構成、指導を手掛けられた事は、ここに深い縁があったからだと感じました。 自分の意識よりも、何か大きな力が働いて 自然に導かれてしまったというのが実感でした。 サンパウロにある巨大なサンバスタンドで、私と小口先生の合作、「絆」を教え子達が演奏してくれた時には、全身が奮える程の感動に包まれました。サンバ会場全体にスタンディングオーベェイションが広がり… 私は色々な人々に支えられて、太鼓奏者・一人の人間として成長させて頂けたのだなと小さな悟りを得ました。 この先にブラジル同様のお話を頂けるのならば、微力なれども、自分に出来る限りの努力したいと思っております。

関係者各位の方々、そしてブラジルにいる若い太鼓打ちの皆さん、感動をありがとうございました。

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大和の魂

小川 ひろみ

「よろしくお願いしますっ!!」
ブラジル サンパウロ市 3万人の観衆が見守るアニィエンビー サンバ会場に1000人を超す日系ブラジル人の子供たちの元気な声が響き渡る。合図と共に一糸乱れぬ太鼓の音が轟いた。
御諏訪太鼓 宗家 小口大八氏と天邪鬼 渡辺洋一の合作曲“絆”である。
この日のサンパウロは降ったり止んだりの雨。あいにくの天気をものともせず、5年に渡りブラジル各地で練習されてきた曲が見事に演奏された。

6分間の演奏を終えた瞬間、観客席から大きなどよめきと拍手喝采が湧き上がる。
見渡す限りの観衆が立ち上がり、惜しみない拍手の嵐。
「ありがとうございましたっ!!」清清しい挨拶を残し、退場してゆく演奏者たち。
思えば私が最初にブラジルの太鼓を見たのは5年前のことだった。
和太鼓を使いながらも、どこか“サンバ音楽”を感じさせる演奏に、首をかしげてしまったものだったが、今日の演奏は全く違っていた。演奏も演奏者たちの心も、限りなく日本の魂を宿していた。
彼らの5年間に渡る研鑽の結果だ。
ご観覧されていた皇太子殿下も満面の笑みを浮かべ、拍手をされていた。
この様子を100年前に希望を胸にブラジルに渡った日本人が見たら、涙を浮かべ喜んだだろう。“私たちの祖国の魂が、100年経っても受け継がれている・・・”と。

ブラジル移民100周年記念の和太鼓演奏を観覧し、ホテルに戻り私は改めて考え込んでしまった。
この感動的な一瞬に立ち会えた私たちに、これから何ができるのだろうかと。
その答えはブラジルを経つ日に見つかった。
1000人太鼓演奏に先立ち、私たち天邪鬼の公演を行ったが、それを見ていたブラジル太鼓のメンバーが見送りにきてくれた。
「私はあなたのファンです。これからはあなたの太鼓をお手本にがんばります。」
いや、頑張らなくてはいけないのは私たちの方だ。
あれだけの立派な演奏をし、もっともっと太鼓を上手になりたいと思う真摯な姿勢の若者に、手本となるような大和魂のこもった演奏をしていかなければいけないのは私たちの方だ。襟を正し、改めて日本の誇れる音楽、和太鼓を精進することが今の私にできることだと気づかされた。
このような後世に残る一瞬に立ち会えたこと、これからの自分の太鼓人生に必要なものを気づかせていただいたことを深く感謝しています。

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ブラジル公演で感じたこと

川名真由美

本年、6月15日(月)~24日(火)まで10日間の行程で、塩見理事長・中西常務・大澤局長・成瀬氏と共に、私達天邪鬼7名・一行11名はブラジル・サンパウロに行ってまいりました。

4年前の2004年にブラジル支部「ブラジル太鼓協会」が発足された際にも、私達天邪鬼はブラジルを訪れ、記念公演を行いました。その後、100周年記念式典に向けて、千人太鼓を演奏する構想が持ち上がり、御諏訪太鼓の小口大八宗家と天邪鬼の渡辺洋一先生の合同楽曲「絆」が作られました。そして、その指導のために、翌年から渡辺先生と影山が1ヶ月間に及ぶ指導を3回、御諏訪太鼓の古屋氏・松枝氏に影山が同行指導1回、合計4回の指導を行い、昨年からはJICAから派遣された箕輪氏が指導を受け継いで下さっていました。

今回の渡伯目的は、千人太鼓の発表を最終監修する事と、天邪鬼公演を行う事でした。
千人太鼓の前々日に行った天邪鬼の特別公演においては、2500人が入る会場がほぼ満席となり、開演前から盛大な声援に包まれました。私たちの使命は、日本の太鼓の精神を伝える事。パフォーマンスや飾りなどのない、真の魂の太鼓を打つ事。60分間の短い公演でしたが、熱い拍手に包まれた中で演奏できた感動は、生涯忘れる事はないと思います。

百周年の記念式典は、サンパウロ市内のサンバ会場で行われました。3万7千人の観衆の前で、日本ブラジル移民100周年記念曲「絆」を1200人は、完璧に演奏してくれました。つたない日本語の「よろしく~おねがいまぁすぅ~」で始まり、目をきらきらと輝かせて力強い掛け声で打つ若者達の演奏は大変印象的で、また最後に頭を深々と下げて 「ありがとう~ございました~」という姿は、好感とともに清々しいものでした。

日系人・ブラジル人・様々な人種の人々が、1200もの太鼓を携えて1200人で「絆」を打つ!日本も日本語も知らない彼らが、日本の太鼓に向かって、無心で向き合ってくれている。私には、言葉では表すことができないほどの感情が湧き上がり・・・ 体中が震えるほどの熱い思いを感じずにはいられませんでした。

ブラジル社会において、日系人の役割は大きいといいます。また日本人の正直さ真面目さには定評があり、ブラジルには、「日本人なら大丈夫」という言葉があるそうです。ただ、日系6世が誕生している今、日系人もブラジル人化してきているとも言われています。その中で和太鼓を通し、日本人が本来持つ魂に気づき、日系人としての大きな責任を果たしていってほしいと願います。

今回は、短いツアーでしたが、こうして日系人の方々と触れ合い、日系人の方々が背負ってきた苦悩を感じる事で、自分自身を見つめなおすことができました。ありがとうございました。
この有意義な機会を与えてくださった(財)日本太鼓連盟の塩見理事長・中西常務・大澤局長に、深い感謝を申し上げます。ありがとうございました。

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ブラジルレポート

影山 伊作

この度は(財)日本太鼓連盟の事業の一環として2004年にサンパウロ、リオデジャネイロ、マリンガの三箇所でコンサートツアーを行い、2005年に基礎技術の指導、2006年には国外で初となる5級検定試験の実施、2007年からは日本ブラジル移民100周年を祝した「千人太鼓」の指導、そして2008年には集大成となるコンサートと千人太鼓の最終指導のため、合計5回ブラジルを訪れました。

現在では72チーム(2000名)以上の10-20代を中心とする日系ブラジル人の若者が和太鼓に打ち込むようになり、2008年6月21日には皇太子様ご臨席の中、3万7千人の大観衆の前で千人太鼓(1200名参加)が行われ、大盛況の幕引となりました。なお、資格認定においては5級保持者が284名、4級保持者が122名となり、更に上の級を目指したいと言う意欲的な意見を多数伺っております。

10年前は日系アメリカ人の父と日本人の母との間にサンフランシスコで生まれ、英語で教育を受けてきた私が和太鼓の演奏家として活動をしているとは正直、自分自身でさえ想像が付きませんでした。今になり、思い返せば私が変わる大きなきっかけとなったのが2004年に(財)日本太鼓連盟、及び文化庁のご支援を頂き、米国コロラド州のデンバーで渡辺洋一(太鼓集団天邪鬼代表)のアシスタントとして携わった「文化交流使」の事業だったと思います。

デンバーでは圧倒的なマイノリティー(少数民族)として暮らす日系人が必死に自らのルーツをたどり、アイデンティティーを捜し求め、文化に誇りを持とうとして太鼓に一生懸命取り組んでいました。太鼓は楽器や音楽の枠組みを超えた、日本の文化を象徴するものとして演奏されていたのです。それは、アメリカ文化に飲み込まれるのを食い止めようとする少数民族としての切迫感を強く感じる分、日本で演奏されている和太鼓とはまた別物に写りました。

アメリカとはまた若干異なるものの、ブラジルでも同じく日系人としてのアイデンティティーや、誇りに思える文化を捜し求める青年が数多くいらっしゃいました。自分はなぜ他のブラジル人と違う顔をしているのだろうか? 自分のルーツはどこにあるのだろうか? 自分は一体何者なのだろうか? 決して口に出さないものの、私はデンバーでの経験を活かし、彼らのこう言った疑問に精一杯答えるようにしました。

それは決してアイデンティティーについて語る事によって伝わるのではありません。逆に言葉は必要なく、彼らと同じ日系人である私が和太鼓奏者として精一杯生きている姿を見せる事によって最も伝わる事なのです。それは10年前、自分のアイデンティティーを捜し求め、太鼓にそれを見つけた私自身の経験則に他なりません。

ブラジルで私はロールモデル(模範)として、微力ながら麻薬や犯罪から彼らを守り、演奏技術だけでなく、和太鼓を通して努力の大切さ、チームワーク、思いやり、優しさ、責任、そして日系人としての誇りやアイデンティティーを教える事ができたと思っております。

実際、この5年間で私はブラジルの青年たちが和太鼓という伝統文化を通して自分自身を見つけ、様々な経験をする事によって自分自身のアイデンティティーに満足し、大人へと成長する姿を目の当たりにしました。異国の文化に飲み込まれる事を恐れず、自信を持って他の人間と接し、他の文化や人をより深く知ろうとする彼らを見ていると、私の選んだ太鼓奏者としての道に誤りは無かったと確信いたします。人が誇れるアイデンティティーを構築し、人間としての成長を助長する事、これこそが伝統文化の存在意義ではないでしょうか。

千人太鼓で演奏している彼らの姿を見ていると、決して自分一人のために演奏しているのではない事がよく分かります。リーダーとして自らのポジションを明け渡した仲間のため、自分の晴れ舞台を見にきてくれた親や友達のため、太鼓を演奏するきっかけ作りをしてくれた祖父母のため、船で渡ってきた曽祖父母のため、ブラジルの日系社会のためなど、様々な側面が彼らを取り巻くオーロラのように見え、目が熱くなりました。

私は太鼓集団天邪鬼のプロメンバーとして活動をしておりますが、上記のような素晴らしい機会に恵まれなければ今日まで太鼓を続ける強い志を持てなかったでしょう。デンバーで伝統文化の大切さに気付き、ブラジルで少しではございますが、それを実行に移す事ができたのは私に取って一生の宝物です。このような機会を頂き、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

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ブラジル日本移民百周年記念祭に参加して

渡辺 大介

私は、ブラジル日本移民百周年記念祭を迎えられた事、そして、この記念すべく日に、私達が和太鼓通じて「絆」とゆう架け橋をブラジルに架けれた事を幸福に思います。特に日系人の方々は、言葉では言い表す事の出来ないほどの特別な日になった事だと思います。これは日本とブラジル、そして日系社会において歴史に刻まれる事です。そんな素晴らしい記念日をブラジルの地で迎える事ができ、私もその中の一人として、この時代に生まれてきた事を誇りに思っております。これからは「絆」の架け橋を未来に残していかなくてはいけません。これから生まれてくる世代に託してゆける事を信じて・・・。

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小川 三千代

2008年、日本人ブラジル移民100周年という記念すべき年に、太鼓集団 天邪鬼の一員としてサンパウロでのコンサート演奏、および記念式典において千人太鼓を鑑賞するという機会に恵まれることができましたことを、心より感謝申し上げます。

飛行機で1日以上かかる日本の裏側、とても遠いところとしか感じていなかったブラジルですが、実際に行ってみれば、コンサートでのあたたかい声援と、1200人の打ち手の私達と同じ太鼓に向けた熱い思いを感じることで、どこよりも身近な親しい国へと変わってゆきました。これもひとえに、日本太鼓連盟およびブラジル太鼓連盟の方々の類稀なるご尽力、ならびに私達の師匠である渡辺先生をはじめとする指導者の先生方のご指導の賜物だと強く感じております。そしてさらに、さかのぼれば100年前から続く日系の皆様の努力のおかげで、私達がこのように強い「絆」を結ぶことができた素晴らしさを、ブラジル滞在中何度も実感いたしました。

勿論、これから乗り越えていかなければいけない壁もまだまだ続いていることと思います。ですが太鼓を通してつないだこの「絆」が、その大きな力になってくれることを、私は信じてやみません。

末尾ながら、このような貴重な場に参加させていただきましたことを、重ねて御礼申し上げます。ありがとうございました。

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ブラジル日本移民百周年記念祭に参加して

関根 弘美

ブラジル日本移民百周年に参加させていただきました事を心より、嬉しく思っております。100年の歳月というのは、想像しきれないものであり、その当時の事情や、環境は、平和な現在では、実感できないものだと思いますが、歴史と共に、人から人へと伝え受け継がれてきたという証を、目の前で見ることができた事は、私の人生の中でも、とても印象的なこととして、心に残ると思います。

私も、和太鼓をやっていなければ、出会う事のできなかった祭典です。そして、この祭典におられた全ての方々が、それぞれの道を、必死で進んで来られた方々なのだろうなと、感じました。それは、会場の熱気・生きる力を感じたからです。地の底から溢れ出て来る様な、力を感じました。

自分の人生の中で、何か一つでいいから、成し遂げる努力をし続ければ、強く、自信をもって立っていられる自分、そして、その中で、沢山の人たちと出会い、心豊かな自分を作っていけるのではないかと思います。現在、日本では、事件、自殺、殺人というニュースが毎日の様に起こっておりますが、人は皆、それぞれの悩みを持ち、苦しんでいる・・・その悩みなんて、ほんの小さなものなんだと感じる程、自分の目標に向かう力は強く、周りの人の心はあたたかいと思うのです。そして、親から受け継いだものを、自分の手でこわすことなく、次の世代へバトンタッチができる様に生きたいと思います。

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